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「日本人はなぜ無宗教なのか」・ラストラン

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今朝もマイナス4度と低い。六郷から貰ったニシンの煮物で朝食をとる。久し振りのニシンで美味しかった。ただ、骨が多いのに閉口する。京都のニシンそばはどうして骨をとるのかと、京都のニシンそばを思い出した。好きな食べ物だ。今日は、今の車・アコードでの富士山麓へ向かうラストランを計画した。もう、6年間で12万キロ走った。今度は同じホンダのフィットにした。今日、山梨に運ばれて2.3日中に納品になると言う。老人向けに少し小さくするのが変更の目的。ことに、昨年、良性突発性頭位性眩暈で5日ほど入院したが、習慣性があり、いつ再発するか分からない、と言われたので、小さい車で遠慮したわけ。ラストランの計画は決めたが、精進湖では曇っていて天気が芳しくない。でも、折角、決めたので出かける。やはり、精進湖はイマイチの天気。国道139号から西湖へ向かう樹海を通る県道が、全く凍っていないのに驚く。毎年アイスバーンで春先まで苦労する道が綺麗になっていた。除雪車が雪を積み上げる歩道の雪もほとんどなくなっていた。西湖では富士山が良く見えた。河口湖でも、富士山は良く見えたが、氷が張っておらず、冬の景色にならない。そこで、遠くて嫌だが、山中湖に向かった。驚いたことに何時もアイスバーンの道が、ノーマルタイヤでも大丈夫のように氷の気配が無い。山中地区北浜の白鳥がいる場所に車を入れたが、地面が乾いている。そこで、すこし、湖面が凍っていたので富士山の写真を撮る。白鳥も20羽ほどいた。今年は、特別に暖かいのかと思って昨年に日記を見たが同じ感じ。そこで一昨年の日記を見たら、シッカリ凍っていた。山中湖ではワカサギの穴釣りの写真も撮っていた。昨年から、どうも、暖かくなってきたようだ。帰宅後リバーサイドアピタとオギノへ行く。アピタはカード会員様特別ご招待で混み合っていた。スターバックスでトールラテを飲む。今日、山中湖で撮った富士山をアップする。読書をする。「日本人はなぜ無宗教なのか」阿満利麿著・ちくま新書に興味を持って買ってしまった。1996年の筑摩新書だ。どうして、こんな古い本を買ったのかその理由もわからない。ただ、お墓に行く年齢が近づいているので、なんとなく無宗教的な発想が気になりだしたことだろう。この本の結論は、日本人に無宗教が多いのは、「健全な心」の持ち主が多いことだと言う。「健全な心」の持ち主は、人生や人間について、不完全であるとか不条理だとは考えない。むしろ反対に世界は、はじめから調和のある美しいものだと考えている。したがって、神についても、厳しい審判者とみなすことはなく、この美しい世界に恵みを与える慈悲深い存在とみなす。これに対して、「病める心」の持ち主は、人生の本質は不安や懐疑や悪にあると考える。世界と人生の無常や無意味に心を悩まされる人々でもある。人間と生まれたというだけでは、とうてい幸福には到達できないのであり、不条理な人生に思い悩んだ果てに、もう一度精神的に生まれ直すという経験がどうしても必要だと考えている。そして、「健全な心」の持ち主は、簡単な説得だけで、十分安心を得ることができるという。「あなたは、どうすれば明るく健やかで幸せになれるかと質問するが、あなたさえそう思えば、すでに明るく、健やかで幸せなのです。問題は、あなたがそのことに気づくことなのです」と。では、この「健全な心」・無宗教はどうして起こったかと言うと一番大きな原因は天皇崇拝にあると言う。維新政府は天皇を支配体制の中心に据える国家経営を目指す以上天皇を絶対視する宗教・神道を国家の力で保護育成したかった。だが、神道を国教にすることは、キリスト教の普及の自由の保証を要求する列強の反発で出来なかった。そこで、宗教ではないと解釈した神道で日本を支配することになった。国の政策として無宗教がすすめられたという。そのための廃仏毀釈によって仏教施設が壊された。大逆事件では4人の仏教徒が捕らえられた。当時、日本では、無宗教は身の安全を保証する言葉であった。この現実に対し筆者は次のような不安を表明している。「だが、人間が、何処から来て何処へ行くのか分からない存在である以上、しかも、その人生になんらかの意味を見出さない限り、人は生きて行くこともできない存在である以上、人間と人生に究極的な意味を与える知恵、つまり宗教は、どうしても必要となってくる。」と述べている。
by kittajp | 2010-01-27 15:39 | 富士山
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