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『マイ・ブラザー』

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良い天気になった。そこで、精進湖の桜が見ごろになっていると思うので、富士五湖へ行くつもりだった。ところが富士山はシッカリ雲の中、洗濯をして、家でゴロゴロしながら、テレビを見て、ビデオを見る。昨夜、HISからハワイへの「出発のご案内」が届いた。それで、ようやく具体的な旅行計画を考え始めることができる。昼食は甲府イオンで「かかし」へ行き、黒和牛と牛蒡天ぷらうどんを摂る。もう田起こしが始まっている。娘は野菜の苗を植える支度をしていた。もう、そんな時期になってきたんだな。24日に精進湖で撮った富士山をアップする。今日見たビデオは、『マイ・ブラザー』ジャンル ドラマ 2009年 アメリカ 。スザンネ・ビア監督によるデンマーク映画『ある愛の風景』を、リメイクした人間ドラマ。戦場での“ある秘密”を抱えた帰還兵士とその妻、そして鼻つまみ者の弟を中心に、家族の崩壊と再生を描いている。戦争がもたらす心の傷と、それを家族の絆が癒すことが出来るのかを問う、戦争によって引き起こされる家族の崩壊と再生を描く感動作だ。サムとトミーは2人きりの兄弟だが、対照的な人生を送っていた。アメフトのスター選手として学生時代を過ごした兄のサムは、チアリーダーのグレースと結婚、2人の娘に恵まれる。その後、米軍大尉として功績を残し、人望も厚い男だった。一方、弟のトミーは、長年定職にも就かず、挙句の果てに銀行強盗で服役する。トミーの出所日、サムは数日後に戦地への出発を控えていたが、車で弟を迎えに行く。だが、出所したトミーの居場所はどこにもなかった。元海兵隊の父・ハンクは厄介者の次男に辛辣な言葉を投げつけ、グレースと娘たちも彼への嫌悪を隠そうとしない。トミーが唯一心を開くのは、母親を亡くし、寂しい子供時代を共に支え合った兄のサムだけであった。ところが、2007年7月、サムが戦地へ旅立って間もなく、サムの一隊がアフガニスタンで撃墜されたとの知らせが届く。現実から逃げるかのように酒に溺れるトミー。そんな彼は次第に、兄が何よりも大切にしていたグレースと娘たちを、自分が支えなくてはと思い始める。以前からグレースが使いづらいと嘆いていたキッチンのリフォームを進めるうちに、娘たちは徐々に笑顔を取り戻し、最初は迷惑そうだったグレースの気持ちも救われていく。グレースの誕生日にキッチンを完成させてからも、トミーは手直しを口実にグレースたちを訪ねる。そしてある夜、初めて本音を語り合ったトミーとグレースはどちらからともなく唇を重ねるのだった。罪悪感を覚えながらも、互いに惹かれていく2人に、ある日一報が届く。サムが生きていたのだ。この間、アフガニスタンでの戦場の動向、捕虜になって穴倉に閉じ込められ、拷問を受ける日々を同時進行で写し出していた。そしてついに、拷問の中で部下を殺すことになってしまう経緯も写し出されていた。その状況をアルカイダはビデオに記録していた。グレースやトミーたちは、空港に降り立つサムの痩せ細った姿に驚きながらも再会を祝う。地元のテレビは「英雄の遺体、帰国」と大々的に報道する。だがサムは、もはや以前のサムではなかった。突然わけもなく激怒しては、娘たちを脅えさせ、やがて彼は、執拗にトミーとグレースの仲を疑い始めるのだった。そんなある日、妻グレースの誕生パーティーの宴席で、サムは、風船を持って音を立てる次女イザベルをしかりつけ、風船を割ってしまう。それに気分を壊して反抗したイザベルは、父は戦場で死ねばよかった、トミーとグレースはいつも寝ていたとしゃべる。後で、グレースは、イザベルに、どうしてあんな嘘をいう、と聞いた。それに対し、イザベルは、お父さんが嫌いと答える。サムは一人でピストルを持ちながら、台所で暴れている。其処へ駆けつけたグレースに対し、「家に戻るために何をしたと思う。俺の家で、俺の弟と寝たのか」と言いながら台所を目茶目茶にしている。其処へ、トミーが駆けつけ、二人は抱き合うが、直ぐにサムは弟に拳銃を向ける。そこへパトカーが到着し、トミーは「これは家族の問題だ」と言って介入を拒むが、サムは警察に取り押えられる。30分の面会時間に、グレースは、どうして自分をいじめるのか、何があったか話してほしいと言う。サムは部下を殺したと告げる。そして、戦争は死んだ者だけが終わる。私は再び生きることができるだろうかと言って、二人は抱き合ってエンディング。アフガニスタンでの戦場風景、拷問の描写は怖かった。戦争がもたらす悲劇をシッカリ味わった。
by kittajp | 2011-04-29 15:54
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