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メル友の死

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朝から厚い雲が多い、暗い一日だった。時々、雨がちらついたが大した降りにはならなかった。朝、7時半ごろに救急車が近くに来た。綿屋の小父さんが昨夜亡くなったとの話。今朝になって家の者が気付いて救急車を呼んだと言う、のんきな話。最近胃がんの手術をしたが、回復には結び就かなかったようだ。9月4日の近所のお菓子屋の葬式には顔色が悪かったので、病気気味だったとは感じていたが、それほど悪いとは思わなかった。先に亡くなったお菓子屋さんと同じで、私より4歳年上だ。私の順番も近づいてきたと実感した。私も歯が痛く元気が無い。口の中に酷い傷が出来ていた。明日に歯医者を予約しておいて良かった。深爪は痛みが亡くなった。昼食後、アピタに買い物に行く。ところで、今朝、前立腺がんの私のメル友が亡くなったことに気づく。昨夜に息を引き取ったと言うことだが、直ぐに、奥さんあてにお悔やみの挨拶を送る。彼とは、2005年11月ごろから奥さんを通じて知り合った。私より5歳年下、告知日は2年遅い。告知日のマーカーは4.8で私の1500に比べるとかなり低い数値だった。また、私は骨に2か所転移していたのに、彼はリンパ節止まりで、症状は軽く見えた。また、治療の結果、私はマーカーが2004年5月に0,129を示したのが最低だったが、彼は、2006年1月に 0,08まで下がり、明らかに私より軽い症状を見せていた。ところが、2007年4月に骨に転移が疑われる頃から、少し動きがおかしいと感じてきた。しかし、マーカーは0.38と低いので、検査の間違いかとも疑っていた。ところが、2008年5月に机から落ちた後で、腰の痛みが酷くなってきた。しかし、マーカーは0.35と決して高くない。そこで、骨に転移しているかも知れない、マーカーが病気の進行を必ずしも表さないのではないかと、考えるようになった。最初のうちの症状は私より軽かった。あるいは軽いように見えた。ところが、2007年4月に骨に転移した時から、これは私より症状が進んでいるとの疑いがてきた。あとで分かったことだが、彼の病気の進行が早いのは、99%を占める腺がんに対し、マーカーに反応しない残り1%の神経内分泌がんだったことまたは、変化したことによるものと思われる。2007年4月に骨に転移した時から、これは私より症状が進んでいると驚いた。2009年6月に抗がん剤投与、12月に効能が見られず、抗がん剤を止める。2010年4月小脳に転移手術、5月ターミナルケア―に転院と厳しい闘病生活だった。この間、奥さんが献身的に看病に努め、自分のホームページを通じて病状を毎日公開し、同病者に極めて貴重な資料を提供してきた。同病者として、奥さんの献身的な看病と闘病記録の公表に敬意を表するとともに、彼の御冥福を心からお祈りする。2008年3月20日、2009年6月9日に続いて3人を見送ったことになる。J2の甲府対愛媛は1対1の引き分けで終わった。昨日、精進湖から撮った富士山をアップする。
by kittajp | 2010-10-24 15:59 | 富士山
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