今朝は娘に注意されたと言うか驚かれた。昨夜10時半ごろ娘が帰宅したら、私の家の電気が2か所点いていたと言う。そこで、声をかけたが、返事がないので、電気を消しに家の中に入った。ところが、全く起きる気配は無く、泥棒が入っても、そのまま寝ているだろうと言われた。自分では、熟睡できなくて困ると思っているが、現実は全く違うようだ。今日は一日中雨で寒く、外出する気持ちになれない。最近亡くなったメル友の病歴をゆっくり振り返ってみた。この人は良く自分の病気について驚くほど研究されていた人で、その生きざまはかなり参考になる。2003年10月に初めて掲示板で知り合った腺友が、この1月に亡くなった事を最近知った。直接の死因は、院内で転倒した際に生じた頭部の血腫を除く手術後の容態が悪かったことによると言う。転倒しなければ、まだ頑張れたのだと思われる。なお、腺友とは、腺がんになって情報交換をしているお友達のこと。また腺がんとは、がんになる元の細胞が腺の構造に配列した細胞を言い、これに対し扁平上皮がんなどもある。肺腺がん、乳頭腺がん、子宮腺がんなどがある。具体的には、前立腺がんの場合は97%が腺がんで他は扁平上皮がんと言われている。前立腺がんで亡くなる人は最近滅多にいないが、今回亡くなられたMさんの経過は以下の通り。1998年3月、68歳で前立腺がん告知、PSA560。リュープリン、オダイン、フルツロン(抗がん剤)を投与。2ヶ月でPSAは0.1に下がる。しかし、オダインは肝臓を痛め6ヶ月で中止。1999年9月、0.2、0.4と上がりカソデックスを投与。また0.1に戻る。2000年12月再燃と判断する。顔の腫れ、浮腫、異常発汗がなくなる。2001年6月、PSA2.5、エストラサイト、ステロイド剤投与。2003年1月、PSA70、ホンバン効かず。4月、ホンバン前のPSA110から58.4と半減。吐き気、無気力、が酷い。6月、PSA99.5、73歳。9月、ホンバン点滴入院2週間、10月PSA269でホンバンが効かない。11月、市民病院から神戸大学に転院する。遺伝子治療のため。告知から5年8か月後、再燃から3年後の転院。12月腰痛にロキソニン服用。PSA480。2004年3月PSA71.3 。7月PSA4,9。9月7.5。10月、46.9。12月615。2005年2月、ホンバンで93に下がる。3月144。6月869、自覚症状が出てくる。7月1397。9月1554、放射線照射。11月4128。12月、ホンバン4回。2006年1月6407、エストラサイト投与。2月4865、ドセタキセル投与。5月486まで漸減。8月、4519。10月6591。2007年2月7253。3月2498、ドタキセル、エストラサイト投与。8月1881。12月2745。2008年1月9229で入院。と言う経過。本人は、神戸大学の遺伝子治療によって1年寿命が延びたと評価している。副作用が強い上に効果が少ないので、抗がん剤の適用は極力拒否してきた。でも、良く頑張ってきたと評価できるし、転倒さえなければもっと長生きできたと思う。腺友のなかでも亡くなった人は少ない。改めて病歴を克明に残してくれたことを感謝するとともに、ご冥福をお祈りする。今夜は、娘の家で焼きそばだと言う。写真がなくなったので、11日に山中湖で撮った富士山をアップする。